加藤明拓がインターハイ優勝を経て海外でプロサッカークラブのオーナーになる迄

インタビュー記事
加藤明拓がインターハイ優勝を経て海外でプロサッカークラブのオーナーになる迄

ピッチで輝かしいプレーを見せるアスリート1人1人に、育成年代の頃の努力や周囲のサポートがあり、引退後の新たなチャレンジがある。izmマガジンではアスリートを中心にスポーツに向き合う人々のストーリーを、良い部分も悪い部分も包み隠さずお届けする。

Vol.7の今回は、千葉県八千代高校サッカー部にてインターハイ優勝を経験し、優秀選手にも選ばれた経験を持つが、大学時代にはサッカーを引退し、一般企業に就職。高校卒業時に父を亡くし、一度の人生、自分のやりたいことをやろうと決意した加藤さんが、メッシに衝撃を受け、カンボジアやナイジェリアでサッカーチームのオーナーとなり、「メッシ超え、バルサ超え」を目指して挑戦する経緯と想いに迫ります。

〈PROFILE)加藤明拓
1981年生まれ。千葉県出身。大学卒業後、株式会社リンクアンドモチベーション入社。2013年株式会社フォワードを設立し、代表に就任。カンボジアのプロサッカークラブ「アンコールタイガーFC」と、ナイジェリアのセミプロサッカークラブ「イガンムFC」のオーナーも務める。高校時代には、千葉県立八千代高校サッカー部にてインターハイ優勝、優秀選手に選出される。将来の夢は「メッシ超え、バルサ超え」

スタートの遅れを努力でカバーしてレギュラーに。
きつい練習を乗り越えて、生まれた自己肯定感。

【izm】
どんなきっかけでサッカーを始めたんでしょうか?

【加藤】
僕は三人兄弟の末っ子で、兄に影響されて自然にですね。 小学4年生から始めました。

【izm】
中学はどちらでプレーされましたか?

【加藤】
クラブチームは当時あまりなくて、船橋中学校で部活でやっていました。
小学生、中学生時代は県の選抜に入ってプレーしていました。
今思い返すと、小学校の市の選抜ではめちゃくちゃ走らされてましたね。

小学4年生から始めて、他の子よりもタイムが遅かったので自分なりに努力して、走り切りました。
それで上達してレギュラーのポジションをとれて、県の選抜にも選ばれて・・・
ああ僕はやれば出来るんだと、その頃すり込まれたかも。

僕の自己肯定感はその走りで培われてきたのかもしれません。

【izm】
あまり小学校が一番きついとは聞かないですね(笑)
普通、高校とかで一番きついと聞くことが多いです。

【加藤】
まあ、指導方法の良し悪しは別にしても、今の僕の考え方の基礎は小学生時代にできています。

【izm】
それから八千代高校に進学されると思うのですが、 八千代高校を選んだ理由を教えてください。

【加藤】
当時、流通経済大柏高はまだなくて、レベルで言えば
市立船橋(以下、市船)・習志野、その後に八千代といった感じでした。
母親の影響なのですが「サッカーバカにはなるなと」常日頃から言われていて
「将来の選択肢を持つために勉強はしておきなさい」とも言われていました。

後は市船に進学して、試合に出れるレベルなのかも疑問でした。
当時プロになろうという意識もなかったですしね。

カズ(三浦知良選手)が当時、僕のスーパースターだったんですが、
そのカズの年俸が1億5千万と聞いてあのカズでたった1億5千万しか貰えないのかと思いました。
だったらビジネスの方に行こうと。

試合に出れない現実から目を背けた先に感じた、サッカーの楽しさ

【izm】
なるほど。
ただインターハイで優勝されてますけど、どんな毎日だったんでしょうか?

【加藤】
一つ上の世代がすごく強くて、その代の時に試合に出ていたんですけど身体は小さいし、足も遅いしで。
かつその頃、麻雀にハマってしまって・・どんどん試合にも出れなくなっていったんですが
まあプロになるわけでもないしいいか、と完全に逃げていましたね。
先生にも関東大会終わったら引退して受験に専念しますと言ってましたし・・

ただそう思ってサッカーやってるとなんか楽しくなってきて
そうすると、「もっと上手くならなければ」から「もっと上手くなりたい」と自発的に変わったんです。

【izm】
なるほど

【加藤】
そしてこの頃から筋トレも始めたんです。
当時はサイドハーフでゲームメイクとか、そういったプレイヤーだったんですが
ボランチに転向して、完全にファイタータイプの相手の選手の攻撃を阻止する役割になりました。
そこから、レギュラー定着した感じですね

【izm】
身体の力が抜けて、よくなった見本ですね。

【加藤】
確かにそうかもしれません。まあインターハイも運で優勝までいった感じでした。

【izm】
ダークホース的な?

【加藤】
多分ノーマークだったと思います。
ただチームの雰囲気は最高でした。
県の大会でも市船と習志野が同じ山でぶつかり合ったので僕らが2位通過で。

インターハイも市船がベスト4で負けてしまったので
広島皆実と決勝だったんですが引き分け、両校優勝となりました。

一度の人生、自分のやりたい事をやろうと決意した、父の死との直面

【加藤】
ただその大会直後に親父が癌になって7ヶ月の余命宣告を受けるんです。
そして本当に僕が高校を卒業した3月に亡くなりました。

【izm】
そうだったんですね・・

【加藤】
そう・・
それでそれまでは何かバランスとってみたいな性格だったんです、リスクを考えてとか・・・

でも、そうではないなと。
一度の人生、自分のやりたい事をやろうと思いました。

【izm】
なるほど、その意思を持って大学に進学されるわけですが、なぜ明治大学へ進学されたんでしょうか?

【加藤】
大学は普通に一般受験で入学しました。
サッカーは引退してたので、大学時代にサッカースクールを立ち上げたりクラブチームのコーチをやったりあとは東南アジアに旅行に行ったりしていました。

ただ大学時代は今まで本気でやっていたサッカーがなくなりなんか悶々と過ごしていた気がします。それでも、東南アジアとか旅行に行って
ああ、こんな感じなんだと肌で感じたものが今に生きてる気はします。

社会人として様々な経験を積んだ、それでもモヤモヤしていた

【izm】
そうでしたか。就職活動とかはしていましたか?

【加藤】
あまりしてないんですよね。
自分の事をわかってくれる会社にいければいいやくらいに思っていました。
それで、「モチベーション」という言葉が高校の頃から気になっていて、
大学時代には子どもたちに教えていたりもしていました。

そうしたらリンクアンドモチベーションという会社が出てきて
これは面白そうかもと思って面接に行ったら、当時まだベンチャーだったこともあってか、すぐに内定をもらいました。

【izm】
そうだったんですね。

【加藤】
仕事はハードでした。
ただ頑張りたかったので睡眠時間4時間くらいの生活を続けていました。

業務でいうと組織のコンサルなんですが、組織のモチベーションをどう高めていくか、とか
新卒採用にあたって、新卒の人達のモチベーションどう高めていくか、といった事をやっていました。

【izm】
それは体力がないと出来ないですね・・・

【加藤】
確かに(笑)
そのあとスポーツマネジメントの部署も立ち上げて、スポーツ選手のモチベーションをどう高めるかというようなこともしていました。

その頃それなりにできるようにはなっていたんですが、このままでいいのかなと感じていて・・
僕の父が亡くなったのが55歳で、僕がその時26歳になっていたのでもう半分きちゃったな・・・と。

その後また企業のコンサルに戻っていって、僕が色んな社長に聞くんですよ、
「この会社を立ち上げたきっかけは何ですか」とか「この会社を通じて叶えたい夢は何ですか」とか。それを質問しながら、自分はどうなんだ?と自問自答するモヤモヤする日々でした。

メッシに衝撃を受け、起業。スポーツ事業を圧倒的にするために

【加藤】
そんな時にメッシが出てくるんですよ。
こんなに小さいのに、「何だこいつは!」みたいな衝撃でした。
こういう選手が日本から出てきたらみんな勇気を持てるんではと思って、これは自分がやるしかないと思いました。
昔から思い込みが激しいタイプだったので(笑)

それで株式会社フォワードを立ち上げたんです。それが32歳の時ですね。

【izm】
なるほど。

【加藤】
コンサル事業に加えてスポーツ事業もあったのですが、スポーツ事業は最初に話した、
メッシ越え・バルサ超えを目指していました。
ただ売り上げ規模を見ても、国内ではバルサ超えは難しいかと。
それでやはり今後爆発的に伸びていく国は東南アジアとかアフリカかなと考えました。

【izm】
なるほど、それでどうされたんでしょうか?

東南アジアに感じた可能性。カンボジアでサッカーチームのオーナーに

【加藤】
見に行ってみたんですよ、東南アジアに。
そうしたら大学時代に来た時よりも全然活気があったんです。
ここでチームを持てたら面白いかもと思ってたら、たまたまカンボジアのサッカーチームのオーナーがFacebookで、「クラブ解散の危機なので誰か助けてください」という投稿をしているのを見つけました。

それですぐに連絡をしました。
相手は日本人の方だったので、条件面とか今の状況を聞いて、売るのは500万で良いですと言われたんです。

【izm】
安いですね!

【加藤】
ただ経営状況は年間4,000万円くらいの赤字で当時、会社を始めて一年で、結構ギリギリだったんですが
仲間も後押ししてくれて、決断しました。

それがアンコールタイガーFCです。

サッカー事業で勝負をするための会社売却

【加藤】
そうですね、その状況が大体4年ぐらい続きました。
最初、僕がやればすぐに赤字は解消するだろうと思っていたのですが、カンボジアも成長しているので、年俸は上がるし・・他の経営者仲間からはバカかとも言われました(笑)

【izm】
なるほど。
メッシ超え・バルサ超えは掛け声でなく、本気だったんですね・・

【加藤】
もちろん、僕はその為に生きているので。
会社を売却したのも、コンサルの部門には迷惑かけてると感じていましたし、カンボジアでの原資も必要だったので。
それが一年前ですかね。

【izm】
売却して得た資金でどこかに行く、みたいな発想にはならなかったんですね。

【加藤】
知り合いの経営者の方から、今のままでは「中小企業の社長みたいになってしまうよ」と言われて
中小企業の社長はある程度お金もあるし、自由に出来ているイメージがあると思うんですが、

「お前はそれで満足してていいのか」と
それで売却してサッカー事業に全て注ぎ込むことにしました。
その人は日本で事業をもっと拡大させてから再チャレンジすればいいと思って言ってくれたらしいですが(笑)

収益化できるビジネスモデルを構築、そしてナイジェリアでの描く未来

【izm】
今の手応えと課題を教えてもらっていいですか?

【加藤】
新興国の場合はなかなか収益化が難しくて、運営費の8割はオーナーが出してるイメージです。
だからいかに収益化して持続可能なチームにしていくかが大きな課題です。

チケットセールスとか、スポンサー費、TV放映権で何とかトントンに持っていきたいですね、
ただ現状はキツくて、、だから今あるチームのコミュニティで何かできないかと思い、それで金融ビジネスを立ち上げました。

これはクラブ周辺やファンの人含めたコミュニティでコミュニティ内の方々が財閥みたいな形になって金融を回すイメージです。

【izm】
なるほど

【加藤】
そのほかにもレストラン事業や養鶏事業なども考えてます。
小口金融はいかにたくさん貸して、貸倒がないかがポイントです。
だからタイガー金融で借りたなら、同じコミュニティで返す仕組みにする。
ここできちんとビジネスモデルを構築してそれをナイジェリアに移行できればと思っています。

ナイジェリアはアフリカの中でも経済成長率がすごいですし、サッカーでも世界で戦える選手がたくさんいます。
今、まさにそのトライアルの最中です。

ナイジェリアはポテンシャルが凄くあるので、環境と機会とチャンスを作れば2035年に間に合うと思います。

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