『金メダルに全力で向かう姿勢を見せたい。』パラ陸上・芦田創選手に聞く、個性的なキャリアの描き方。

インタビュー記事
『金メダルに全力で向かう姿勢を見せたい。』パラ陸上・芦田創選手に聞く、個性的なキャリアの描き方。

ピッチで輝かしいプレーを見せるアスリート1人1人に、育成年代の頃の努力や周囲のサポートがあり、引退後の新たなチャレンジがある。izmマガジンではアスリートを中心にスポーツに向き合う人々のストーリーを、良い部分も悪い部分も包み隠さずお届けする。

Vol.4の今回はリオパラリンピックの男子4×100mリレーで銅メダルを獲得した芦田創選手をゲストに迎え、陸上および障害との向き合い方や学生時代の葛藤等についてお聞きしました。東京パラリンピックでは本職の走り幅跳びで金メダルを目指す芦田選手は、何を求め何を目指して競技に向き合うのか。

〈PROFILE)芦田 創
1993年12月8日生まれ。大阪府池田市出身。現トヨタ自動車所属。5歳で右腕にデスモイド腫瘍を発症。10年間の治療の中で右上肢機能障害となる。15歳で陸上と出会い、病状が回復。その後、陸上の道へ。2016年リオデジャネイロパラリンピックでは4×100mRで銅メダルを獲得。2017年世界パラ陸上選手権では三段跳と4×100mRで銅メダルを獲得した。東京五輪出場での金メダルを目指している。

【izm:五勝出】
リオ大会に出場し、現在は東京パラリンピックへの出場を目指して日々競技に打ち込まれている芦田選手に、ご自身のキャリアを振り返りながらパラアスリートのキャリアの描き方をテーマにお聞きしていきたいと思います。芦田選手、よろしくお願いします!

【芦田選手】
よろしくお願いします。

僕は幼少の頃に障害を患うことになったのですが、スポーツと出会って自分の人生が変わりました。そういった経験や前向きになれるきっかけを競技者としては自分のプレーで体現しつつ、セミナーや講演活動なども含めて世の中に広める活動をしています。今日は自分のキャリアについてだけでなく、パラアスリート全体の話もできたらと思っています。

「もう、腕切ろう」と宣告されて、僕は走り始めた。

【izm:五勝出】
芦田選手は、何歳から陸上に取り組んでいるのですか?

【芦田選手】
15歳からですね。遅いと思われるかもしれませんが、スポーツがしたくても病気の関係でドクターストップだったんですよ。

【izm:丸山】
なるほど、ドクターストップだったんだですね。芦田選手さんの病気について少し調べさせてもらってはいるのですが、持病の「デスモイド腫瘍」について改めて聞かせてもらえますか。

【芦田選手】
デスモイド腫瘍という病気は100万人に2~4人の発生頻度の疾病で、癌と違って悪性ではなく良性の腫瘍なんです。つまり、直接的に命に別状はないのですが、腫瘍の範囲が周りに広がっていくんですよ。僕の場合はこのデスモイド腫瘍が5歳の時に右腕にできました。

実はこの病気、治療法がないんですよ。

この病気の厄介なところは、腫瘍が出来るとめちゃくちゃ痛いんですよ。信じられないくらい。だからメス入れて腫瘍を取るでしょう。そうしたら、メスを入れたところから腫瘍が転移していくんです。これがエンドレスに続いていくんですよ。

5歳当時の芦田選手

【izm:丸山】
なるほど・・・。それはもう物心ついた頃からという事ですよね?

【芦田選手】
そうですね、5歳からなので小学校時代はほぼ毎年オペでした。ほとんど学校には行けてなかったですね。

【izm:五勝出】
幼少期〜学生時代はそのような状態だったのですね・・・。陸上を始められた15歳のタイミングでは、病気は完治していたのですか?

【芦田選手】
いや、15歳でお医者さんに「もう、腕切ろう」と言われているんですよ。

【izm:丸山】
えええ!どうしてですか?

【芦田選手】
治療法も見当たらないし、このまま手術を繰り返しても腕が腐ると言われたんですよ。そこである意味吹っ切れましたね。それまでは、病気で運動禁止だったんですよ。運動をすると悪い細胞が活性化して状態が悪化するから、と。

だけど、どうせ腕を切るんだったら、もうやりたいことやったろうと思いました。こけたり、怪我しても腕切るんやからもうええやん、と。僕はスポーツが凄く好きで、特に2004年のアテネ五輪を観て、心が震えて。それで一番簡単なのは走ることだったので、金もかからないし走り始めたんですよ。そしたら、病気治ったんですよね。

【izm:五勝出】
えっ!漫画のような話ですね・・・。

【芦田選手】
そうなんです。デスモイド腫瘍は10年間も治療して全く治らんかったのですが、走ったらデスモイド腫瘍が消えたんですよ。不思議でしょ?(笑)

【izm:丸山】
それは医学的な根拠はあるんですか?

【芦田選手】
色々なお医者さんが調べたんですけど、ナチュラルキラー細胞かなぁとの見解でした。確かな医学的根拠はないけれど、免疫が跳ね上がったし、何より心が明るくなりました。

【izm:五勝出】
それはすごいですね。。。

正直舐めていたパラスポーツ

【芦田選手】
パラスポーツの選手は障害を持つこと自体が競技人生のスタートになっているので、話を聞くと皆面白いですよ。なかなか聞きづらいじゃないですか、何で障害を持ったんですか?とか。選手の数だけストーリーがあって、その色濃さで言えば健常スポーツよりもパラスポーツの方がそれぞれ強烈だと思いますね。

【izm:丸山】
確かに・・・。芦田選手のお話も、既にかなり濃厚です。スポーツを始めて、ご自身の中で世界が変わっていったんですね。

【芦田選手】
そうですね。スポーツを始める前後では全く違いますね。自分にスポットライトが当たる感覚というか、ずっと病院の窓から外の景色を眺めていた自分から一転して、世界を切り開いていく感覚に変わりました。

【izm:五勝出】
その後、パラアスリートとして短距離やハードル等の競技に集中していくことになると思うのですが、パラ競技に本格的に挑戦し始めた初期の頃はどうでしたか?

【芦田選手】
正直、なめてましたね(笑)

いや、誤解を恐れずに言うと障害者を舐めてたというか、自分が障害者であると認めたくなかったんですよね。高校時代は普通に健常者の同世代に混じってインターハイを目指していたので。健常者の中でもそこそこ速かったのですが、何かのきっかけでパラのレースに出場することになり、最初のレースで日本記録が出てしまって・・・。

【izm:丸山】
なるほど。いきなり結果が出たんですね。

【芦田選手】
いきなり自分が日本で1番というポジションに置かれることになって、そうしたら自分がどこに居ればいいのか分からなくなってしまって。同じ感覚や感情を共感できる人がいないというか、パラスポーツの世界はこんなもんかというか。まぁひとことで言うとやっぱり舐めてましたね。

【izm:五勝出】
その状況から2013年に世界陸上に出場されるわけですが、世界の舞台はどうでしたか?

【芦田選手】
世界では、現実を突きつけられましたね。世界には自分より重い障害を持ちながら、よりストイックにやってる選手がいると・・・。このタイミングでまた価値観が変わりましたね。

【izm:五勝出】
やはり、世界は違いましたか?

【芦田選手】
メダル取る選手は違うと思いました。陸上は0.01秒とか1センチを競うスポーツじゃないですか。でも障害があると、障害があることを前提としたパフォーマンスになってしまうし、パフォーマンスを上げるのにより工夫が必要になる。

でもメダルを取る選手のパフォーマンスは、観客に障害を感じさせないんです。僕は本当の感動は言語化できないと思っているのですが、メダルを取る選手は障害を凌駕したパフォーマンスで人の心を動かしている。初めて彼らのパフォーマンスを見た時、僕も心が動いたんですよ。彼らの動きはパラアスリートではなく、まさしくトップアスリートそのものでした。

【izm:五勝出】
日本のパラスポーツではそれは感じなかったんですか?少し視点を変えると、それって日本の社会の構造が関係してると思いますか?

【芦田選手】
多少は関係あると思います。僕らはアスリートと障害者の2面性で語られることが多いのですが、日本ではやはりアスリートの文脈で語られる機会は圧倒的に少ないですね。

加えて、観客の皆さんはパラスポーツを最初からどうせ障害者のスポーツだろうと見ている側面とアスリートも「障害者」の殻を破れていないという側面の両方があると思います。

山本篤選手との出会いとリオパラリンピック

【izm:丸山】
なるほど、確かに日本では迫力や卓越性の文脈でパラスポーツが語られることは少ないかもしれないですね。では、少し高校時代からの話を遡ってお聞かせいただけますか。

【芦田選手】
高校時代は、健常者の陸上部員に混じってただめちゃくちゃ練習していました。自分に障害がある前提なので、人に勝つには倍以上やるしかないだろうという単純な発想でひたすら自分を追い込んでいました。

【izm:五勝出】
その結果、どうでしたか?

【芦田選手】
めちゃくちゃ怪我しました(笑)。そもそも上半身の左右のバランスが悪いのに、やたら走り込んだりとかしていましたし。県内では10番くらいでした。

【izm:丸山】
多少なりともハンデがある状態で10番は単純に凄いと思いますが…!パラスポーツに本格的にシフトしたきっかけは何だったのでしょうか?

【芦田選手】
山本篤さんという日本パラスポーツの顔のような選手がいるのですが、その人とたまたま一緒の練習会場になった時に「お前、なんか腕変やな」って声をかけられて。「はい、腕にちょっと障害があるんですよ」って言ったら「じゃあお前、パラ来いよ」みたいな(笑)。

チームメイトとして活躍する芦田選手と山本敦選手

【izm:五勝出】
なるほど、そんなきっかけだったのですね。山本篤選手は見た目も競技シーンも格好いいですよね。

【芦田選手】
そうなんです、あの人はパラスポーツのイメージを変えてますよね。

【izm:丸山】
芦田選手がパラスポーツのキャリアで初めてメダルを取ったのはリオのパラリンピック(400mリレーで銅メダルを獲得)だったと思うのですが、パラスポーツを本格的に始めてからリオ大会までの3年間はどんな時間でしたか?

【芦田選手】
まず金銭面の話をしたいのですが、パラスポーツは当時全く注目されない世界だったんですよ。そもそもスポーツとして認知されておらず、海外の大会に行く費用を稼ぐためにアルバイトをしたり、それこそ自分でスポンサー集めをしたりしていました。だから2015年に大学を卒業するタイミングで普通に就職して、競技はやめるつもりだったんですよ。

【izm:五勝出】
2015年ということは、リオ大会の前年ですか?

【芦田選手】
そうですね、まだこの時はそこまでパラスポーツに熱意がありませんでした。

【izm:丸山】
なるほど、どこで本格的に火が付いたのですか?

【芦田選手】
就活の時ですね。正直、就活が全く面白くなかったんですよ。22年間、人とは違う何かを探し求めて生きてきたのに、就活になったらみんな同じスーツ着て、同じ髪型して「御社に入りです」って、何やねんそれと(笑)。

そのタイミングで、他人が持っていない自分ならではの強みはなんだろうと考えた時に、自分の場合は障害だったんですよ。それまで、障害を患っている状況について「悪いカード引いちゃったな」と思っていたのが、これ使い方によってはむっちゃ強いカードになるぞと。逆転の発想ですね。それで、パラスポーツの世界で本気になってみようと思いました。

だけど当時は日本記録は持っているけれど世界では全く通用しないレベルだったので、今のままではパラスポーツで食っていけないと思って・・・。それで、当時は早稲田大学の学生だったのですが、そこで初めて陸上部の門を叩きました。卒業を控えた大学4年で初めて、体育会の部活に入ったんですよ。

【izm:五勝出】
それまではどこで練習していたのですか?

【芦田選手】
大学のサークルに所属して、一人で練習していました。4年生でパラの選手が入部してくるなんて異例だったとは思うのですが、陸上部の監督には感謝しかないです。

パラスポーツは「個性を個性的と捉えることができる社会」の象徴に

【izm:丸山】
少し質問を変えますが、幼少期から振り返って親や指導者との関わりはどうでしたか。

【芦田選手】
基本、障害がある前提で関わってこない人が多かったのはありがたかったです。親には「お前は不自由かもしれないけど、不幸ではない」と常々言われて育ってきましたし、体育ができない時も「やれることをやりなさい」と言われて勉強する習慣を身に着けたり。指導者も「両足は使えるんだから、ガンガン行けよ」と、普通の練習メニューを与えられていましたね。

【izm:丸山】
みんなポジティブですね。振り返ると、良い意味で特別扱いされない環境だったんですね。

【芦田選手】
そうですね、セルフイメージは凄く大事かと思います。

【izm:五勝出】
それでは、改めてリオ大会でメダルを取ってみて変わった部分はありますか?

【芦田選手】
やはり、メダリストの肩書きは大きいですね。勝った人間の言葉は肯定されるというか。一方で、リオ大会の後にオリンピックの選手とパラリンピックの選手と一緒になることも多かったのですが、両者のメダルの価値は同じではないなと痛感しました。現場での扱われ方やメディア露出、報奨金なども違いますし。

だからその時に改めて、東京オリンピックまでにやらなきゃ行けないことがたくさんあるなと感じました。

【izm:五勝出】
その「やらなきゃいけないこと」は、自己評価ではどれくらいやれましたか?

【芦田選手】
自分なりに工夫して色々と取り組んだのですが、変えられていない部分の方が大きいですね。講演会をやったりSNSでも発信したり。でも正直擦り減っただけというか・・・文化を作ることは相当に難しいと思いました。すぐに変わる物ではなく何年、何十年かかるものだなと。そう捉えると、自分なりに種蒔きの部分は貢献できたのではないかとポジティブに考えてはいます。

【izm:丸山】
芦田選手の今後のビジョンはいかがでしょうか?

【芦田選手】
競技について言うと僕は「勝ちの先にある価値」にこだわっていて、あまりメダルに重きを置いていないんです。人より遠くに飛べたからといって社会が変わるわけはでなく、僕自身もそんなに変わるわけでもない。だけど、その舞台に本気で向かう過程で価値(=バリュー)は高まっていくと思っていて。色々な人が応援してくれて同じ夢に向かっていくプロセスの中で、人の心が動けば社会も少しずつ変わると思っています。

だから自分にできることは、金メダルに全力で向かっていく姿勢を見せること。もちろん、願わくば金メダルを取りたいです。

競技外の活動で言うと一方的に「障害者を理解してください」と伝えるのではなくて、人それぞれ持っている個性のひとつとして障害を個性的」と捉えてもらうことができるかどうかそしてどんな人でも、人生に選択肢を持てるようになることが大事だと思います。そんな、色々な人が選択肢を持てる社会作りをすることが僕の目標です。

【izm:五勝出】
その目標を達成するために、どんな活動をしていく予定ですか?

【芦田選手】
今は競技生活を通じて、自分のマインドを発信することを続けています。それこそ種蒔のような感じですが、競技人生が終わった後は、仕組みを作れる人間になりたいですね。

【izm:丸山】
芦田選手が先ほど仰っていた「個性を個性的に捉えることができる社会」ってとても素晴らしいフレーズですね。

【芦田選手】
人と同じであることを通じて得られる安心感に流されるのではなく、もっと自由に自分と向き合っていける人が増えていけば良いなと思います。

【izm:五勝出】
パラアスリートは共生の象徴のような捉えられ方をしている節もありますが、どちらかというと個性を発揮できる社会の象徴と捉え直す方が良さそうですね。同時に、パラリンピックの存在意義にも直結すると思いました。

【芦田選手】
僕は障害は努力次第で何とかなるよ、とは絶対に言えない。パラリンピックは凄く特別な舞台で、出場する選手にしても用意される環境にしても障害者のリアルとはある種かけ離れています。本当に解決しなければいけない障害者の問題は、実際はパラリンピックから遠く離れたところにあるんです。だけど、パラリンピックを通じて社会に伝わるメッセージは間違いなく「個性を個性的に捉えることができる社会」の実現に貢献すると感じています。

【izm:丸山】
世間の障害者への認識やイメージを良い意味でひっくり返す機会にもなり得ますもんね。いや〜、東京オリンピックでメダル取ってください!金メダルが手に入ると、ますます芦田選手の活動が広がっていきそうですよね。頑張ってください!応援しています!

【芦田選手】
むっちゃ頑張ります!今日はありがとうございました!

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