元祖プラチナ世代のエース 松本翔が明かす、エリートゆえの葛藤とプロになるまでの過程ー前編ー
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ピッチで輝かしいプレーを見せるアスリート1人1人に、育成年代の頃の努力や周囲のサポートがあり、引退後の新たなチャレンジがある。izmマガジンではアスリートを中心にスポーツに向き合う人々のストーリーを、良い部分も悪い部分も包み隠さずお届けする。
Vol.6の今回は、ユース出身で横浜F・マリノスへ入団し、その後、様々なチームでプレーし、現在はJFLのMIOびわこ滋賀でプレーをする松本選手をゲストに迎え、ユースで活躍後、プロの世界に入った中での葛藤や結果を残す難しさ、その中での心の変化に迫ります。松本選手が考える厳しい環境で結果を残していくために大切なマインドセットとは。
〈PROFILE)松本翔
横浜F・マリノス、愛媛FC、レノファ山口などで活躍し、現在はJFL・MIOびわこ滋賀に所属するサッカー選手。認定こども園で保育の仕事をしながら、サッカー選手として活動している。ツイッターのフォローワーは2万人を超える。
幼少期から横浜・Fマリノスの育成組織でプレー
【izm】
早速ですが、サッカーを始めたきっかけを教えてください。
【松本】
僕は、三人兄弟の真ん中なんですが、小さい頃から兄についてまわっていて気づいたらサッカーを始めていました。
【izm】
チームに入ってサッカーをし始めたのはいつ頃でしょうか?
【松本】
幼稚園の頃から結構色々なスクールとか行っていて、
ジャクパとか、ヴェルディとかに週6くらいでずっと通っていました。
小学4年生でマリノスプライマリーに入るまでは、川崎の地域チームでプレーしていました。
【izm】
マリノスプライマリーでの活動はどうでしたか?結果は残せていましたか?
【松本】
サッカーをする環境はすごく良かったですし、
往復電車で2時間かけて通う日々でも毎日楽しくやれてたと思います。
小学5年生まではあまり活躍できなかったような記憶ですが、6年生で背番号10番を貰いました。
でも当時130センチくらいしかなくてユニフォームもブカブカでした・・・
当時FWだったのですが、その年マリノスが全日本少年サッカー大会で初優勝しました。
【izm】
それはインパクトありますね!
【松本】
そこから全日本少年サッカー大会はマリノスプライマリーが3連覇しています。
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ジュニアユースへ、満足のいく結果が出せない葛藤
【izm】
中学時代はどうでしたか?
【松本】
ジュニアユースに所属していて、1年生の時はあまり印象にないのですが、プラチナ世代と言われる92年組の柴崎岳選手たちとエリートプログラムに呼ばれたことがもしかしたら中学のピークかもしれません。
2年生になってから上のチームに合流出来たのですが、試合に出場はしていたものの、そつなくこなしていたような、良くも悪くもオールラウンダーで、3年生の時もあまりやれている実感はなかったです。
【izm】
そこに身長は関係していたと感じますか?
【松本】
そうですね・・・この頃から体格差は出てきましたね。
僕は常に整列最前列でしたし・・・
いつ身長伸びるんだろうと・・もうオスグッド待ちでした(笑)
この頃はトップ下に変わって、オールラウンダーではありましたが、キックや基礎技術は大事にしていて武器ではありました。
テレビ出演や生徒会長、「なんでも良くできる子」だった
【izm】
小学校2、3年生の頃はテレビとかにも出ていらっしゃいましたよね?
【松本】
テニスですかね(笑)
筋肉番付という番組の企画で「松岡修造のテニス塾」というものがあって「他のスポーツをやってる子供がテニスを通じて自分の弱さを克服する」みたいな企画だったと思います。出演していて当時、修造さんにはむちゃくちゃ泣かされていました(笑)
他にはポンキッキーズとかも出ていました。
【izm】
それはお母さんがオーディションとかを見つけてきていたんですか?
【松本】
そうですね、両親ですね。オーディションとかも受けていました。
当時は目立ちたかったし、人から凄いと言われたかったんだろうなぁと思います。
生徒会長とか応援団長もやってました。
【izm】
それは育った環境が影響していると思いますか?
【松本】
どうでしょう。
僕は三人兄弟の真ん中なのですが、父親が単身赴任で家におらず、兄も弟もサッカーをやっていたので、真ん中っ子は独り立ちも早くて、自分がやらないと家が回らないなと自然と感じる様になり、家事をしていました。
なので、周りの人からは「良く気がついて、なんでも良くできる子」だと言われていました。
だから良くも悪くも「良い子」が染み付いて、「僕はこうでなきゃいけないんだと」知らず知らずに自分が作られていったかもしれません。
仲間たちが代表チームへ。焦りしかなかった
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【izm】
なるほど・・・
ユースに昇格するときはどうでしたか?
【松本】
中学3年の時、キャプテンになっていたし、チームの中心ではあったので夏には昇格が決まっていました。
そこに迷いはありませんでした。
【izm】
では高校時代はどうでしたか?
【松本】
高校1年の時はキツかったイメージですね、凄く走らされてました。
当時の3年生が齋藤学さんの代で、良い選手が多かったこともあり、試合にはなかなか絡むことができませんでした。 2年になってから、監督が代わりチームの色も変わり、試合に少しずつ出るようになりました。
でもこの頃はすごい危機感があったんです。
小学生の時、一緒にやってた仲間たちが代表チームとかに呼ばれていて、特に同じチームで同じ代の小野裕二選手が呼ばれるようになると焦りしかなかったです。下からも良い選手が出てきますしね・・・
【izm】
そんなメンタルの状態だったんですね。
【松本】
それは、表に出すことが自分のイメージや松本翔が崩れると変にプライドがあったと思います。
凄い焦ってました。
勉強でもスポーツでも、何でも1番が当たり前に思われてたので・・・
自分のイメージを崩すのが怖かったのかもしれません。
【izm】
それは凄いですね、ある意味プロみたいだと思います。
サッカーの面で、世代のトップ集団から徐々に離されていった原因があるとすれば、何か思い当たりますか?
【松本】
技術的には負けてないと思うんですが、自分のエゴを出せていなかったのかな・・・
つい、周りを気遣ったりして。
今は、潤滑油的な存在でも、常にチームに必要とされるプレーヤーを目指しています。
【izm】
それは監督であったり、指導者の人の好みにも関係しますよね。
【松本】
そうですね、巡り合わせもありますね。
「お前のプレーはゴルファーみたいだ」変わる覚悟が決まった一言
【izm】
トップの昇格はあっさり決まったんでしょうか?
【松本】
高校3年のクラブユースでヴェルディに負けて、夏前にトップ昇格は無いと言われたんですよね。
ただその時には、大学進学とか他のチームと他の選択肢がありませんでした・・・
その後に高円杯があるんですが、気持ちを切り替えて、
ここで結果残してなんとかプロになろうと考えました。
その前に合宿があったのですが、監督から皆の前で言われた一言が
「お前のプレーはゴルファーみたいだ」と。
プレーしたあと、止まってるという意味で言われたのですが、これが凄くショックでした。
それがきっかけで変われたのかな・・・
凄く走りました、キツかったけどやるしかないと。
【izm】
なるほど。
【松本】
高円杯ではチームとしては結果残せなかったのですが、個人としては手応えがありました。
そしたらマリノスからもう一度考えたいとオファーが来たんです。
【izm】
へぇ、そうだったんですね!
最後のチャンス、自分のエゴを解放できた
【松本】
そして次の週くらいにトップチームでジェフとの練習試合に呼ばれました。
これが最後のチャンスだと思って臨んだんですよね。
ここで自分のエゴを解放できたと思っています。今まで出せなかった分・・・
確か、後半しか出場していないんですが、2点とれて。
むちゃくちゃ走って、ボールに絡んで結果を出すことが出来て、これは上がったと思いました。
当時の木村和司監督がトップに上げてくれと言ってくれて、
なので決まったのも10月くらいだったと思います。
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【izm】
その時のメンタルの状態はどうでしたか?周りとの劣等感とかは消えていましたか?
【松本】
昇格が決まってからは、もう一度同世代の仲間とステージに立てたと思っていました。
この時Jユースカップも開催されていて、小野裕二選手はトップに帯同していたんですが
僕はキャプテンとしてこの大会をやり抜こうと思っていました。
小野裕二選手がいないとダメじゃんとか、絶対言われたくないと思って。
そのあとギリギリでしたが、当時のチャンピオンチームを倒していくんです。
ヴェルディ、広島、最後決勝で東京を倒して優勝するんです。
マリノスのJユースリーグは初優勝でした。あの時は凄くチームが一つになっていたと思います。
【izm】
その後、プロとしての生活が始まる訳ですが、続きは後編で詳しく深堀させていただきたいと
思います。松本選手、お忙しい中ありがとうございました!
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