『正直、プロを諦める事も考えた。』ファジアーノ岡山・廣木雄磨選手に聞く、サッカーエリートの苦悩。
ピッチで輝かしいプレーを見せるアスリート1人1人に、育成年代の頃の努力や周囲のサポートがあり、引退後の新たなチャレンジがある。izmマガジンではアスリートを中心にスポーツに向き合う人々のストーリーを、良い部分も悪い部分も包み隠さずお届けする。
Vol.2の今回はFC東京のアカデミー出身で東京学芸大学へ進学した後、当時J3のレノファ山口へ加入し、現在はファジアーノ岡山でプレーする廣木雄磨選手をゲストに迎え、今年29歳を迎える廣木選手のリアルなサッカー観やキャリア観、心境の変化について赤裸々に語っていただきました。
育成年代からエリート街道を走ってきた彼の挫折や葛藤、今後のビジョンや計画とは?
〈PROFILE)廣木雄磨
1992年7月23日生まれ、東京都昭島市出身。兄の影響で小学1年生時からサッカーを始め、2005年よりFC東京の下部組織に加入。高い身体能力を誇るディフェンダーとして2008年のクラブユース選手権及び2009年のJユースカップを制した。世代別日本代表ではU-16アジア選手権に全試合フル出場。2011年東京学芸大学へ進学し、2015年にレノファ山口FCに加入。2018年12月、ファジアーノ岡山へ完全移籍。2021シーズン、怪我からの再起を誓う。
【izm:五勝出】
一見、育成年代の頃からサッカーエリートの道を走ってきたように見える雄磨君だけど、その過程では色々なストレスや挫折、意思決定があったんじゃないかと思います。
今日は育成年代の頃から現在、そして今後の展望について聞いていきたいと思います!
【廣木選手】
よろしくお願いします!
U-17W杯でネイマールとマッチアップ
【izm:五勝出】
雄磨と僕(五勝出)は東京学芸大学の学部に加えて蹴球部でも同期な訳だけど、小中学校の頃からFC東京のアカデミーで活躍していて同世代では昔から有名人だった。早い段階から世代別代表にも呼ばれてたよね?
【廣木選手】
いやいやそんな(笑)。
代表に初めて呼ばれたのは中学生かな。FC東京U-15むさしに所属していた時で、宇佐美貴史や高木善朗とか、凄い選手が常連組として選ばれているチームに全く経歴のない僕がポコンと入る形になって、最初は正直恐かった。
前列右から2番目が廣木選手
【izm:五勝出】
ネイマールとマッチアップもしていたよね?
【廣木選手】
U-17のW杯でブラジル代表と試合した時だね。
一緒に写ってる写真も残ってる!(笑)
ただ、その時からネイマールとコウチーニョは別格で、17歳にして既に数億円もらってるレベルだったと思うな。
【izm:丸山】
世界のトップに登り詰めていく選手たちと対戦してみて、率直にどうでしたか?
【廣木選手】
親善試合とかでよくブラジル代表とは戦っていたんだけど、17歳のW杯の時は強かったなぁ。今までの親善試合は何だったのっていうぐらい、上手くて強かった。(日本代表はブラジル代表に惜しくも2-3で敗戦。)
【izm:丸山】
なるほど。ブラジル代表を本気にさせたってことなのかもしれないね。
エリート選手になっていくまでの過程
【izm:五勝出】
それでは、これまでのキャリアを小学校から振り返りつつ、どうやってプロサッカー選手までたどり着いたのかを教えて欲しいのですが、小学校の頃のサッカー生活はどうでしたか?
【廣木選手】
小学校は地元のクラブ(アンティウスFC)でプレーしていて、東京トレセンには選ばれていたかな。そこから更に人数が絞られていく東京都選抜のセレクションがあるんだけど、それは受からなかった。もう、ヴェルディの選手たちが凄くて。
【izm:五勝出】
そんなに凄かったんだね。
【廣木選手】
セレクションにも僕らは運動着というか普通に動ける格好で行くんだけど、ヴェルディの選手たちは私服で来るのよ、、、小学生にしてオーラ出まくってた(笑)
【izm:丸山】
面白い(笑)
【廣木選手】
中学はそのまま部活でやるつもりだったけど知り合いがFC東京U-15むさしの内定を貰っていて、それが悔しかったから、真正面からセレクション受けて結果的に合格することができた。
【izm:五勝出】
特別枠かつ既定路線でセレクション受かった訳じゃないんだね。
【廣木選手】
そうそう。ただ東京トレセンがあったから2次試験からの参加だったかな。
【izm:五勝出】
真っ当にセレクションを勝ち抜いて入団したんだね。
実際にJリーグの下部組織に入ってみてどうでしたか?最初から普通にやれましたか?
【廣木選手】
中学1年生の時は、先輩たちが凄くてあまり手応えなかった気がするなぁ・・・。
2年生になった時、監督が変わって山口隆文監督(元JFA・育成担当技術委員長、現JFAアカデミー福島・女子U-18監督、以降:「ヤマさん」と記載)になるんだけど、ヤマさんが来てから、どんどん自分を出せるように変わっていった。
【izm:五勝出】
山口監督の存在が大きかった?
【廣木選手】
そうだね。1つ上の代の試合に出るようになったり、世代別代表に選ばれるようになったのは、ヤマさんの推薦で、怪我した選手の代わりに呼ばれたのがきっかけだったかな。
プロ入りの壁と、背中を押した奥さんの言葉
【izm:丸山】
高校はそのままスムーズにユース昇格できましたか?
【廣木選手】
そうですね!試合にもコンスタントに出ていたし。
【izm:丸山】
ユース年代の頃を振り返って、自分のプレーやチーム成績はどうでしたか?
【廣木選手】
17歳の高校2年時にU-17W杯に出場していたこともあって、その当時は高卒でプロになることも考えてはいたけど、高校3年時にはそのままトップチームに昇格することはないかなと思ってた。大学に行って、しっかり準備してからプロを目指そうと。
ただU-17日本代表でで一緒にやっていたチームメイトは、しっかりプロ入りを勝ち取ってその道を進んでたし、悔しさと絶対追いついてやろうという気持ちはありましたね。
【izm:五勝出】
いわゆるプラチナ世代の代表格の選手たちだし、若くして有名だった選手も多いよね。高卒でFC東京のアカデミーからトップチームに昇格できないと分かったタイミングはいつ?
【廣木選手】
高3の夏だね。
【izm:五勝出】
そこから大学選びをスタートしたんだね。
どうして最終的に東京学芸大学に進学することになったのでしょうか。
【廣木選手】
早稲田大学も候補に挙がっていたけど、早稲田の枠は一人しかなかったから夏のタイミングではもう埋まっていて…。大学に行くなら教員免許は欲しいと思っていたのと、学芸は家から通いやすかったことも理由のひとつですね。何よりFC東京に練習参加しやすい環境だったことも大きかった。
【izm:五勝出】
なるほど。大学に入る前に思い描いてた理想のキャリアプランは、大きい怪我をした事で変わりましたか?(大学2年時に膝前十字靭帯を断裂)
【廣木選手】
怪我が原因で…とは言いたくないけど、やっぱり思うようなプレーはできなくなった。
【izm:五勝出】
リハビリも長く、苦しかったと思うけど…。
【廣木選手】
そうだね、でもポジティブには捉えていたかな。
この怪我があったから強くなれたと言えるように頑張ろうと思ってた。
リハビリも国立科学スポーツセンター(JISS)でやらせてもらっていたから、周りはオリンピック選手ばかりだったので、刺激をもらっていました。週3回ペースでJISSに通うために、大学2年時の授業の一部を、大学3~4年時に回していました。
【izm:丸山】
リハビリを経て、その後プロ入りへの道はどのように進んでいきましたか?
【廣木選手】
大学3~4年でJ2クラブの練習会にいくつか参加したんだけど結果が出なくて。正直、プロを諦める事も考えたけど、今の奥さんの助言で踏み止まれた。(奥さんは大学の同級生で同じ生涯スポーツ学部)
「これからチャンスをものにしようとする人が、そんなメンタルでは掴めるチャンスも掴めないよ。」
「今サッカーを諦めたら絶対後悔する。」
って言われて…。
今振り返ると、その言葉に助けられたかな。
【izm:五勝出】
奥さんも元々アスリート(高校時代、陸上の7種競技で日本一)だし、その辺はよくわかっていたんだろうね。
ユニクロで働きながらプレーしたプロ1年目とJ2昇格
【廣木選手】
大学4年生の年末までJ2の練習会に参加し続けていたんだけど、どこからも内定が出なくて。その後に、J3のセレクションにも行ってみることにしたんだよね。
【izm:五勝出】
なるほど、普通にセレクションを受けに行っていたんだね。雄磨の活躍や能力を見てきた身からすると、大卒で即J1に行ける選手だよなと思っていたし、そういった状況から、上位カテゴリーのチームへ行けないのは悔しかっただろうね…。
【廣木選手】
そうだね。最終的には、当時J3のレノファ山口に入団することができて正直ホッとした。
最初はユニクロで仕事をしながらプレーしていたこともあって体力的にもきつかったけど、今振り返ればユニクロのスタッフやサポーターから支えてもらいながら社会経験を積むことができたのは良かったです。
加えて、レノファは凄い良いチームで上手い選手も多かったし、ついていくのがやっとでした。でも、入団1年目にJ3で優勝することができて、J2昇格を経験できたのは大きかったですね。
ユニクロでアルバイトをしていた当時の写真
ファジアーノ岡山への移籍と手放したアウディ
【izm:丸山】
大卒から4年間レノファに在籍した後、ファジアーノ岡山へ移籍した理由は何でしたか?
【廣木選手】
ファジアーノからオファーが来たからですね。求められている事がありがたかったし、ここはチャレンジしようと思った。
【izm:五勝出】
ちょっと話が変わるけど、アウディを売った時、あったよね?(笑)
【廣木選手】
それ言う?(笑)。
レノファの4年目かな。怪我がちになって、なかなか試合に出れなくなった時期で。これはいい車なんか乗ってる場合じゃないと思って。
【izm:丸山】
かなりリアルな話ですね。
初出し、ありがとうございます!(笑)
過去最高のサッカー熱を、結果に変えたい。
【izm:五勝出】
2020シーズンでファジアーノは在籍2年目、契約更新の年だったと思いますが、契約更改の部分はどうだったか言える範囲で教えてもらえますか?
【廣木選手】
去年は手術をして、改めて現役選手としてサッカーができる時間が限られている事を考えました。本当に自分は100%できているかを自問したり、内省する時間が長かった。その期間を経て、今はよりサッカーにフォーカスして結果を残したいと思ってる。
そんな状態でも契約更新してくれたチームには感謝してるし、恩返しをしたい。
【izm:五勝出】
去年話した時、今年が本当の勝負の年かもしれないと言ってたよね。本当に今年は怪我なく行って欲しい。
(本インタビューは2021シーズン開幕前に実施)
【廣木選手】
今シーズンは今までになく手応えがあるし、万全のコンディションで望めると思っています。1年間しっかり戦って結果を出して、チームに貢献したいです。
【izm:五勝出】
最後に、僕らも気付けばアラサーになってしまった訳ですが、サッカー人生やキャリアを考える上で、何か変化はあった?
【廣木選手】
もちろんサッカー選手で28歳は決して若くないけど、サッカー熱に関しては落ち着くどころか、以前にも増してより貪欲になってるんだよね。本当なら次のキャリアを考えたりするんだろうけど、今はサッカーで結果を出したい気持ちが強いから、自分のプレーに集中しています。
【izm:五勝出】
うん、絶対それが良い!
今しかできないことだからね。
【廣木選手】
良いのか悪いのか(笑)。
期待していてください!
【izm:丸山】
引き続き、全力で応援しています!
今日はお忙しい中、インタビュー受けていただきありがとうございました!
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写真提供:ファジアーノ岡山